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大阪健康安全基盤研究所

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乳製品による食中毒の原因物質を検出 - ブドウ球菌のエンテロトキシンとは -

平成12年6月から7月にかけて、低脂肪乳等を原因食品とする有症者約15,000人という世界にも類を見ない大規模食中毒が関西一円で発生しました。当研究所は低脂肪乳および脱脂粉乳の濃縮精製法を開発し、中毒の原因となったブドウ球菌毒素エンテロトキシンの検出に成功しました。このエンテロトキシン(腸管毒という意味)とは如何なるものでしょうか。

黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)とエンテロトキシン

黄色ブドウ球菌の学名の由来はstaphylo(ブドウ)coccus(球菌)で、寒天培地で発育するとブドウの房のように連なった菌塊を形成するために名付けられました。現在多くの菌種が報告されていますが、このうち黄色の色素を産生することを意味するStaphylococcus aureusが食中毒の主たる原因となります。一般的に、健康人でも糞便、鼻前庭、頭髪、手指に黄色ブドウ球菌を高率に保菌していますが、特に、本菌は化膿性疾患の代表的な病原菌であり、膿汁中には大量の菌が存在します。このような菌株のうち約50%がエンテロトキシンを産生すると言われています。食品への汚染源として食品を取り扱う調理人の手指等が特に重要です。乳製品ではウシの乳房炎由来の菌が第一に疑われます。黄色ブドウ球菌は一定の条件下で食品中で増殖し、その時に菌体外にエンテロトキシンを産生します。この毒素をヒトが摂取すると、神経系に作用して嘔吐や下痢を引き起こしますが、菌自体は中毒の直接の原因にはなりません。本中毒は潜伏時間が1~6時間(平均3時間)と他の細菌性食中毒と比べて短いのが特徴であり、その症状は一過性で特別な治療をしなくても一両日中に回復することが多いようです。

豆知識

エンテロトキシンの発見:ブドウ球菌食中毒の確かな報告は、1914年フィリピンの牧場での事件であるといわれています。この時、Barberはブドウ球菌食中毒は菌そのものではなく、毒素によって発生することを示唆しました。1930年Dackらはブドウ球菌食中毒から分離した菌の培養上清(菌体を含まない)でブドウ球菌食中毒と同じ症状を再現させました。この毒素はエンテロトキシンと呼ばれ、世界中の研究者の注目するところとなりました。 
ng(ナノグラム):1 ngは10億分の1グラムに等しい

エンテロトキシンの性状

エンテロトキシンは分子量約3万の単純タンパクであり、その主たる生物活性である嘔吐の作用機序は現在に至るまで殆ど解明されていません。その最大の理由は、サル以外に感受性の高い実験動物がなかったためと考えられています。エンテロトキシンは1種類だけではなく、1970年前後までに免疫学的に異なる5種類(A~E型)のエンテロトキシンが精製されました。現在G、H、I型等の新型のエンテロトキシンが報告され、一部の毒素ついては食中毒との関連が報告されています。しかし、ほとんどの食中毒由来株はA型単独、あるいはA型との複合(例えばA+B、A+C、A+D)の型の毒素を産生することが知られており、このような現象は日本だけでなく欧米でも同様です。なお、平成12年の大規模食中毒事件で低脂肪乳や脱脂粉乳から私達が検出したのはA型毒素のみでしたが、H型毒素も含まれていたとの報告があります。

エンテロトキシンは種々のタンパク分解酵素や酸に抵抗性を持っています。この性質により、食物とともに摂取されたエンテロトキシンが、胃酸や生体のタンパク分解酵素によって分解されることなく中毒を発症させることになります。エンテロトキシンのもっとも厄介な性質は熱抵抗性です。食品中のエンテロトキシンは100℃、30分間の加熱によっても完全には失活しません。したがって、食品の原材料中で菌が増殖しエンテロトキシンが産生されると、通常の調理法で菌は死滅しても毒素の分解は困難です。低脂肪乳等による大規模食中毒事件においても、生乳中でエンテロトキシンが産生され、脱脂粉乳の製造工程で行われる殺菌(130℃、数秒間)により菌は死滅したが毒素は残存したものと考えられました。

低脂肪乳等による大規模食中毒事件において食中毒診断が困難であった理由

通常のブドウ球菌食中毒では、原因食品から1 g当たり100万個以上の菌が検出され、エンテロトキシンも数十 ng/g以上検出できます。菌が殺菌されエンテロトキシンのみが残存した食中毒例は、世界的にもわずかしか報告されていません。日本で広く利用されているエンテロトキシン検出法は「逆受け身ラテックス凝集反応」であり、A~E型の毒素を約1 ng/mLの検出感度で測定できます。通常の原因食品では希釈しても、エンテロトキシンを十分に検出できます。ところが、今回の低脂肪乳中の毒素濃度は予想以上に低く、検体中の毒素を濃縮しないと検出できませんでした。牛乳は高濃度のタンパク(カゼイン、乳清等)や脂質、糖類を含みます。このような乳製品試料から微量のタンパク毒素を効率よく選択的に抽出濃縮するのは容易ではありません。そこで私達は、酸処理(等電点沈殿、酸沈殿)によりカゼイン等のタンパクを、クロロホルム処理により脂質を、ゲル濾過により塩類等の低分子物質を除去しました。さらに、濃縮は毒素の耐熱性を利用してロータリーエバポレーター(45~50℃)による濃縮操作を行いました。この方法により約0.05 ng/mLのエンテロトキシンを検出することが可能になり、検出感度を20倍高めることが出来ました。

今までに報告されたエンテロトキシンの最小発症量は、1985年チョコレートミルクを飲んで850名以上の学童が発症した米国の事例です(発症率30%以上)。同一ロットのチョコレートミルク(平均236 mL)から0.40~0.78 ng/mLのエンテロトキシンが検出され、毒素摂取量は一人当たり94~184 ngと推定されました。当該事件の低脂肪乳から検出したA型毒素濃度は高くても0.4 ng/mLでした。

遺伝子診断の落し穴

食品内毒素型食中毒である黄色ブドウ球菌中毒やボツリヌス中毒の唯一の確定診断法は原因毒素の検出です。PCR法によりたとえ毒素遺伝子が検出されても、原因菌が食品内で増殖して毒素を産生したことの証明にはなりません。実際に脱脂粉乳の検査で、PCR陽性であっても毒素を検出できない事例に遭遇しました。食品内毒素型食中毒の診断時には、安易にPCR法の結果のみで原因を特定すべきではないと思います。検査に混乱をきたし、さらには大きな間違いをおかす危険性があるからです。

私感(当時を振り返って)

低脂肪乳の主成分は脱脂粉乳(約10%)と水というように非常に単純です。当初より筆者を含む多くの専門家は原因食材として脱脂粉乳を疑いました。しかし、事件の複雑さにより原因究明に時間がかかりました。私達はただ搬入された検体を検査するだけで、検体採取等ができない立場にあり、大変もどかしい気持ちでした。

今回の低脂肪乳や脱脂粉乳の検査で感じたプレッシャーは今までに経験したことがありません。特に脱脂粉乳がエンテロトキシン陽性という結果は、これがもたらすであろう莫大な経済的損失、社会的混乱、政治的問題を考えると、検査結果に対する自信と不安が交錯して眠れない夜が続きました。ウルグアイラウンドの合意により日本は大量の脱脂粉乳を含む乳製品を輸入しています。今回のような事故の再発防止には、国産製品は当然のこと、輸入乳製品の品質管理や安全性の確保に対する施策が重要だと考えます。

それにしても原因究明に携わっておられる方々の地道な努力を目の当たりにして、頭が下がる思いがしました。この期待に応えるべく、私達はより正確な検査結果や情報を提供できるように全力で検査に従事しました。

お問い合わせ

微生物部 細菌課
電話番号:06-6972-1368