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大阪健康安全基盤研究所

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有機塩素系殺虫剤DDTの歴史と未来

掲載日:2017年3月31日

地球上で最も人間の命を奪っている生物は何だと思いますか。2014年にマイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ氏が自身のブログに投稿した画像が話題になっていましたので、御存知の方も多いと思います。残念ながら2位は人間で紛争や戦争により多くの命が奪われています。猛毒のヘビは3位、サメに至っては14位です。

では1位は何でしょう?その生物は蚊です。世界保健機関(WHO)によると年間約70万人の生命を奪っています注1,2。原因は蚊が感染症の病原体(ウィルスや原虫)を媒介するからです。病原体を持った蚊自身は病気にはなりませんが、ヒトや動物が刺されると感染症を引き起こします。最近では、リオ・オリンピックで話題となった、ジカ熱が有名です。他に日本脳炎、デング熱、チクングニア熱等、現在11疾患が蚊媒介感染症として確認されています。中でもマラリアは2015年には32億人以上の人々が危険にさらされ、進行中のマラリア感染は95の国と地域で発見されました注1。太平洋戦争末期の南方離島や沖縄の戦争による犠牲者よりも、マラリアの犠牲者の方がはるかに多かったという記録もあります。

1939年スイスのパウル・ヘルマン・ミュラー博士は、DDT (Dichloro Diphenyl Trichloro ethane) という化学物質に、強い殺虫作用があることを発見しました(この功績により1948年、ノーベル生理学・医学賞を受賞)。DDTは安価に大量生産でき、かつ高等生物への急性毒性が弱いため、その使用量は年々増加し、万能の殺虫剤として多用されました。スリランカでは、1948年から62年までDDTの定期散布を行なった結果、年間250万人を数えたマラリア患者数を31人にまで激減させることに成功しました。

ところが、化学物質の危険性を取り上げた、レイチェル・カーソン博士の著書「沈黙の春」注3でDDTの立場は一転し、地球の生態系に深刻な悪影響を及ぼす汚染物質の筆頭とされました。DDTは生物体内でDDEまたはDDDに代謝されますが、いずれも体内蓄積性が高い物質で、食物連鎖により高等生物ほど濃度が高くなります。我々が行った母乳調査でも、1970年代の母乳からは現在の10倍以上のDDT類が検出されました。他にもDDTの有害性に関する論文が数多く発表され、1980年代に各国で使用禁止となりました。そして2001年に行われた外交会議、残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POPs条約、2004年発効)が採択され注4、DDTの製造および使用が世界中で制限されることになりました。

しかし、スリランカのマラリア感染者は、DDTの使用禁止後僅か5年足らずで年間250万人に逆戻りしました。このような事例は南アフリカや中南米の熱帯・亜熱帯の途上国で数多くみられ、再びマラリアの恐怖が蔓延しました。これらの報告を受け、2006年WHOは科学的データを再検討し、「殺虫剤の中でマラリア予防対策にはDDTが最も有効であり、適切に使用すれば人間、野生動物に有害ではない」と強調、DDTの室内散布を認め、"DDT 使用の復権"に方向転換しました注5。近年の研究ではDDTに明確な発がん作用は無いという報告もあります。またDDTの異性体であるo,p-DDDは、ミトタンの名で副腎皮質癌治療薬として登録されています。

一方、DDTと男児の生殖器異常との関連性を示す報告もあり、内分泌かく乱作用を有する懸念もあります。また、必要以上の無計画なDDT散布はDDTに耐性を持つ病原体出現につながります。幸いにも現在の日本では蚊が媒介する感染症の報告例は、ほとんどありませんが、途上国でのDDTの使用は現状を考えると止むを得ません。蚊の多くは熱帯・亜熱帯に生息しますが、温暖化により、近い将来病原体を持った蚊の生息域が北上して我が国へ侵入することも十分考えられます。DDT等の化学物質に対して私たちは、恐れず慎重に対処することが、今後いっそう必要だと考えます。

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(食品化学課小西良昌)

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