沿革・衛生研究所時代
1950年から1974年(昭和25年から昭和49年)
大阪市立衛生研究所として改組
戦後、公衆衛生に関する諸法規の制定や、諸制度の変更に伴い、衛生行政の科学的裏付けが必要となりました。厚生省は昭和23年、全国府県及び大都市に対し、衛生研究所の設置を要望しました。昭和25年、既設の予防衛生研究所及び防疫所における細菌検査部門を当研究所に併合し、名称を大阪市立衛生研究所と改め、生活科学研究所の業務を継承して行うことになりました。
創立50周年 保健文化賞授与
昭和31年には、創立50周年を迎え、当研究所の業績、特に市民生活に直結した各種研究が保健衛生の向上に著しく寄与したとして、第8 回保健文化賞が授与されました。
また、50周年事業の一環として、大阪生活衛生協会が設立されました。
保健文化賞レリーフ:「衛生神」
環境衛生への取り組み
戦後、産業活動が活発になるに従い、ばい煙や有害ガスの排出、屎尿海洋投棄、河川汚濁など環境衛生、公害問題がクローズアップされました。衛生部局だけでなく、清掃局、土木局、港湾局など他部局からの調査研究依頼が多くなり、自治体研究機関として多くの先駆的研究成果をあげ、環境保全対策や公害防止技術開発などに多大な貢献をしました。
放射能汚染、ウイルスへの取り組み
昭和30年代始めには、原水爆実験による食品や環境の放射能汚染や、インフルエンザ、ポリオなどウイルス疾患の業務への対応のため、アイソトープ研究室及びウイルス研究室が設置されました。
公害・食品汚染への取り組み
昭和30、40年代にかけて水俣病、ヒ素ミルク事件、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、カネミ油症、光化学スモッグ、河川の汚濁などの公害・食品汚染問題が頻発しました。また、農薬類の食品への残留や環境汚染も大きな問題となり、食品分野、環境分野においてこれらの原因究明、現状把握などが求められました。特に、カネミ油症事件の原因究明においては大きな功績をあげました。このような毒性物質の生体への影響、さらに、栄養状態による生体影響の違いの研究は高い評価を受けました。
化学物質への取り組み
市民生活において合成洗剤、抗菌剤、プラスチック製食器など各種の化学物質または、化学物質を含むものを使用する機会が多くなり、それらの安全性評価など先駆的な研究を行いました。
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