沿革・衛生試験所時代
1906年から1942年(明治39年から昭和17年)
庁舎完成
創立当初、西区阿波堀通1丁目の市役所衛生課内で業務を開始しました。明治40年5月西区阿波堀通3丁目に庁舎が完成し移転しました。庁舎は、赤煉瓦2 階建で、当時の建造物としては異彩を放ちました。毎年、所内公開を行い、明治45年には3日間で4,000人以上の見学者があるほど盛況でした。
細菌検査、ネズミの検査・駆除など伝染病の予防・防疫対策、身体検査、水道の水質検査や牛乳などの食品検査、さらに直接市民に衛生的な生活について普及・指導を行うなど、現在の保健所、水道局水質試験所、及び環境科学研究所の業務を合わせたような業務を行っていました。
食品及び薬品の品質試験
粗悪な食品や薬品が出回っていたことから、食品や薬品の安全性や有効性の試験を行っていました。牛乳や醤油、清酒など市民がよく利用する食品や殺鼠剤などの薬品について、合格したことを証明する証紙(封緘紙と称し、販売者が商品に貼って販売する。)を発行していました。

検査風景
琵琶湖淀川水系の水質調査
安全な飲料水の確保は市民の健康を守る上で重要な課題であり、創立当初から飲料水の試験・検査を実施していましたが、大正11年からは、その水源となる淀川上流から琵琶湖の水質調査を開始し、昭和23年にこの事業が水道局で実施されるようになるまで続けられました。
その後、琵琶湖淀川水系の調査は、昭和50年代から微量有機物汚染調査として再び取り組むようになりました。長年にわたる歴史的な研究結果やノウハウの蓄積が、河川汚濁対策のために非常に役立ちました。

近江舞子桟橋付近での採水風景
衛生事務講習会など
衛生事業に関係する市職員対象に、衛生学、伝染病予防・消毒法、衛生法規などの「衛生事務講習会」を行い、衛生行政の向上に寄与しました。
大正の半ばには、公設市場の巡視や食堂従業員の検診など、広く公衆衛生に係わる事業を展開しました。
新庁舎(扇町庁舎)へ移転
大阪市の発展とともに本所の業務も次第に拡充され、大正12年北区北扇町に新庁舎が建設され移転しました。新庁舎は、当時、衛生試験所としては全国最大のものでした。新築落成記念として「衛生展覧会」を開催し、講演会や展示を行い、10日間で12万人余りの来場者がありました。その他「栄養料理講習会」、「水の展覧会」、「衛生ポスター展覧会」などを行いました。
大阪市の都市化・工業化と環境衛生対策
煙の都といわれた本市の急激な都市化、工業化にともない、ばい煙、大気汚染、河川浄化、屎尿処理など都市衛生に関する調査研究が行われ、大阪市の環境衛生行政に大きく貢献しました。
栄養への取り組み
食品の栄養価や、脚気とビタミンB類の関係の研究など栄養についての調査研究も活発に行われるようになりました。
大正13年の規則改正では、調査部の業務として、「食品其の他栄養に関する事項」及び「都市の衛生施設に関する事項」が位置づけられました。

学童の弁当の栄養調査(市内小学校にて)
市民講座の開設
「衛生講習会」、「魚菜料理講習会」などの講習も行われました。昭和13年には調理研究室を設置して、栄養指導と共に、料理講習会を行いました。当時、このような施設はなく、年間150回、延べ6,000人に対して講習が行われるなど大盛況でした。
災害への対応
大正12年の関東大震災では、所員を救護班として東京、横浜に派遣し、大正14年の城崎町地震、昭和2年の奥丹後地震でも救護班を派遣しました。昭和9年の関西大水害(室戸台風)では、大阪市の救援に参加するとともに断水直後の水質検査などを実施して、市民生活の安全確保に取り組みました。
創立25周年記念事業
創立以来ほぼ毎年、所内見学や講演会などの創立記念行事を行いました。昭和6年の創立25周年には、記念式典、記念講演会、記念衛生展覧会、記念出版などの記念事業が大々的に行われました。

衛生展覧会
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電話番号:06-6972-1321