沿革・設立の背景
コレラ、痘瘡の流行
明治になって、海外との交流が盛んになるとともに、海外で流行している疾病が我が国の、なかでも交通の要所である大阪で流行する事態となってきました。明治3、6、7年には痘瘡が、10年にはコレラが大流行しました。大阪市では、痘瘡については種痘、コレラについては、飲料水対策を行いました。飲料水については、飲料水用の河川水のくみ取り場所を淀川上流に限定し、井戸水も検査の上、飲用を許可することにしました。そのため、明治22年には、飲水の検査、調査、研究のために飲水試験所が設置され、その後、上下水道が敷設されました。
ペストの流行
明治30年代、インドでのペストの流行に端を発し、横浜、神戸、長崎などに続き、大阪でも流行し、多数の患者が発生し、死亡率は約90%にものぼりました。
市立大阪衛生試験所の誕生
当時は、水質試験所で行っていた上水の検査以外の公衆衛生の試験・検査は、内務省大阪試験所や大阪府庁の検査室に依頼して行われていました。本市の衛生行政をより一層進めるため、学術的試験研究機関が求められ、明治39年8月10日大阪府の認可を受け市立大阪衛生試験所(現在の環境科学研究所)が産声をあげました。
明治32年、明治33年のペストの流行状況の記録
明治35年 臨時ペスト予防事務局が後世の参考のため編纂
寄贈第一号の本
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電話番号:06-6972-1321
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